水上陽平の雑記

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「迷想中・迷走中・1684」 - 水上陽平(気功療法院)

2025/08/15 (Fri) 21:27:22


ある気功師・1283

「五感・4」

感じる事はありがたい。
感じる能力は幸せの能力。
感じる深さや広さがある。
それは幸せの深さや広さに直結している。

感じるのは個人的感覚から出発している。
だが、深くなるほど
広くなるほど
微妙が判るほど
他との共通感覚に近づく。
他の幸せと自の幸せが近くなるのだ。

社会的に生活する能力。
仕事が出来ると社会では評価される(と思う・・・)
仕事が出来ると報酬も増える。
(まぁ、必ずしもじゃないけどねぇ・・・)
だが五感が広く深くても社会的評価はそれほどじゃない。
つまり
幸せと社会的評価は別な次元にあるのだ。


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「迷想中・迷走中・1683」 - 水上陽平(気功療法院)

2025/08/14 (Thu) 21:19:47


ある気功師・1282

「五感・3」

五感は何の為に備わっているのか?
グレちゃん(創造主)は何を考えたのか?
そんなの決っている。
グレちゃんは、いつでも同じ事しか考えてない。
(というか・・・何も考えてない・・・)

グレちゃんは超優しい存在だ。
優しいとは、幸せにしてくれる事だ。
幸せを呼ぶ行為だ。
自然界では調和という作用。
グレちゃんは調和しか考えてないのだ。

人は、調和が起こると幸せに感じるのだ。
ならば、五感も同じだ。
幸せになる為に備わっている。
当たり前だ。

苦しむ為に備わっているのじゃない。
精神苦行スキスキ人間はマゾだ。
人は苦しみから成長するわけじゃない。
幸せから成長するに決っている。
まぁ、成長する事にこだわるこたぁないけど・・・


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「迷想中・迷走中・1681」 - 水上陽平(気功療法院)

2025/08/12 (Tue) 23:48:17


ある気功師・1280

「五感・1」

見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触る。
目、耳、鼻、口(舌)、身。
肉体の感覚器官だ。
器官といっても、身は身体全体の皮膚だ。
皮膚は器官の大元でもある。
皮膚が一方向に発達して、各器官が出来た。

皮膚の一部が光に対して特に敏感に反応する。
どんどん専門に発達する。
そして目ができた。
同じように音に敏感に発達して耳となった。
鼻となった。
口(舌)となった。

ということは・・・
全身(皮膚)は全ての感覚を内蔵している。
心を静め、感覚を研ぎ澄ます。
見る、聞く、嗅ぐ、味わう感覚は身体全体でも判る。
目を瞑っても、何となく見える。
耳を塞いでも、何となく聞こえる。
身体って、凄く優秀に出来ているのだ。


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「迷想中・迷走中・1679」 - 水上陽平(気功療法院)

2025/08/10 (Sun) 22:42:47


ある気功師・1278

「風呂・24」

当時は気候ももっと温暖だった。
植物繊維の布を一枚まとっているだけだ。
それで充分暮らせた。
昼の仕事で汗を出す。
同じく昼のうちに河川で身体を洗う。
心身をさっぱりと清めて昼の部が終わる。

夕方からは焚き火を囲んでディナーパーティだ。
毎日、部落全員でディナーパーティだ。
歌と踊りと語らいの食事だ。
皆で楽しく食べれば、何倍も美味しくなる事を知っていた。
現代より、ず~と智慧を活かした暮らしだった。
現代より、ず~と豊かな暮らしだった。

お金や財産を貯めるという概念は無かった。
何でも皆で協力し、分け合えばいい。
分け合う方が、ず~と豊かに暮らせると知っていた。
毎日、水で余計なモノを清めていたのだ。
心身の澱は溜まらない。
残るのは、大らかな心と明るい心。
楽しみと愉しみが生きる意味だと知っていた。


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「迷想中・迷走中・1678」 - 水上陽平(気功療法院)

2025/08/09 (Sat) 22:14:19


ある気功師・1277

「風呂・23」

古代の風呂。
温泉は別として、お湯風呂は無かった。
身体を洗うなら川か雨。
当時の身体は生命力に溢れていた。
だから身体は常に熱かった。

お湯でなくてもいいのだ。
お湯で無い方が楽だった。
雨水も今と違って綺麗な水だ。
河川は超綺麗な水だ。
水に触る、浸かるだけで充分だった。

現代人のような油(脂)まみれの身体じゃない。
表面のホコリだけだ。
水で簡単に綺麗になれる。
環境と人の身体は同じだ。
身体が綺麗になるのは環境を汚す事じゃない。
当時のホコリは汚れではないからだ。


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「迷想中・迷走中・1677」 - 水上陽平(気功療法院)

2025/08/08 (Fri) 22:38:19


ある気功師・1276

「風呂・22」

私はオトコの裸に興味があるタイプではない。
(まどろっこしい書き方だが、生理的に好きじゃない)
オトコの同性愛を否定はしないが、生理的に受け付けない。
TVなどの、その気を売りモノするオトコもあまり・・・。
人それぞれだから否定はしないが、近寄りたくない。

だが風呂はオトコだけしかいない。
オトコの裸がウジャウジャしている。
おまけに毛深いから、本当にウジャウジャしている。
私はケムシなどのウジャウジャも苦手なのだ。
風呂施設は私のとって楽園ではないのだ。

それでも慣れるもんだなぁ。
それにつれ、私の仕事目が開く。
依頼されてないのだから、あまり観察はしない。
でも観えてしまう事が度々ある。

アブナイ状態の人、準アブナイ状態の人も多いぞ。
サウナ室などで、霊障タイプがいると息苦しい。
私は霊障に強いので、ウットウしい。
でも、余計なマネはしないぞ。
私は目立たぬように、淡々と風呂にいる。


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「迷想中・迷走中・1676」 - 水上陽平(気功療法院)

2025/08/07 (Thu) 21:32:39


ある気功師・1275

「風呂・21」

御婦人達の風呂場内。
「どうどうとしてるわよぉ」
前を隠す人は少ないらしい。
サウナ室なども・・・どうどう・・・。

オトコの方がシャイなのか。
一応オトコどもはタオルをかけている。
オトコは服(見栄)が無いと意気地無しが多い。
裸(素)では威張れないのだろう。
威張っても・・・様にならない。

風呂に来てまで人物観察する気はない。
が・・・目に入ってしまう。
もちろんマナーが悪い連中は何処でもいる。
どうしようもないオッサンもいる。
刺青のオッサン達は意外に大人しい。
ガキ共は騒がしい。
その親や祖父はマナーに甘すぎる。


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「迷想中・迷走中・1675」 - 水上陽平(気功療法院)

2025/08/06 (Wed) 22:35:48


ある気功師・1274

「風呂・20」

御婦人と風呂の話になった。
風呂施設での話だ。
オトコと御婦人では風呂内での態度が違う。
もちろんオトコもオナゴも一様ではない。
それでも傾向というのがある。

よくいわれる事だ。
オトコは歩く時、タオルで前を隠す。
隠すほどじゃないが、それとなく前に持つ。
マナーのようなものだ。

それぞれに個性があるモノだ。
それほどミットモナイモノではない。
(まぁ、奇妙な形ではあるが・・・)
ミットモナイと思っているわけでもない。
が、人前に堂々と出すようなモノでもない。
とオトコは(変なところで)マナーを持っている。


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「迷想中・迷走中・1674」 - 水上陽平(気功療法院)

2025/08/05 (Tue) 21:28:02


ある気功師・1273

「風呂・19」

風呂は溶かす所。
流す所。
解放する所。
そして元に戻る(裸)所。

外国式のシャワーとは違うのだ。
石鹸の泡だらけのバスタブではないのだ。
日本の風呂は深い叡智がある。
見えないモノの扱い方を知っていたのだ。
風呂は・・・洗い場ではない。

大きな湯船に浸かる。
お湯風呂と水風呂を交互に浸かる。
本来の風呂(サウナ)から水風呂に浸かる。
時間をかけて、ゆっくり過ごす空間なのだ。
ワシはカラス(の行水)だった・・・。
最近は一時間以上はいるように変わった。


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「迷想中・迷走中・1673」 - 水上陽平(気功療法院)

2025/08/04 (Mon) 22:24:44


ある気功師・1272

「風呂・18」

風呂は身体を洗う所。
そう思っている人が多い。
私は少し違う。
身体を洗う事も出来る所。
身体を洗ってもいい所。
そう認識している。

身体は石鹸で洗う。
それは固定概念だ。
石鹸は特別な場合のみだと思う。
通常は水かお湯が適している。
身体の声を聞いてみれば解る。

頻繁に石鹸類を使うと身体は弱化する。
皮膚を守るモノを壊されてしまうからだ。
石鹸やアカスリでゴシゴシ擦る。
すると身体(皮膚)は悲しむのだ。
自分(身体)を大切に扱ってもらえない。
自分(の管理能力)を信用してもらえない。
身体はやる気を失くし、年老いてしまう。


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